成功は自分の内から出るもの。他者の犠牲の上に為す成功は成功と言ってはいけない。

世の中に出たら誰しも一度は成功を夢見たと思います。

あれこれと成功した姿をイメージして、だれか世の中で既に成功している人を土台にしてイメージすると思うんです。

もちろん成功している人がヒントになる時はあると思います。ただHowToモノのように’この方法でやったらこの人のようになれる’というのを真似しすぎてはいけません。

あくまでその人にはその人の人生があり、生産ラインのように他者と同じ人生は歩まないはずです。

 

まず世の中の成功を見るときには注意が必要です。

世の成功者が果たして人生の模範になるのか?というとそうでもありません。冷静にみるとスキャンダルにまみれていたりと模範にしてはいけないことが多いです。

ただ多少のスキャンダルにまみれていようと、世の中には有名になってセレブと言われながら豪勢な生活を送っている人がいますし、昔からいました。

そういった人たちがどのように成功を手に入れたかというと他人の犠牲の上に成功を手にしてきました。それも公にはわからないようなやり方です。今のようにインターネットが普及していなければ知る由もなかったようなやり口ばかりです。

心優しい人が中々成功をしないのはこのためです。他人を犠牲に出して何かを成し遂げようなんてしないからです。もっとも、言ってしまうと心優しい人は世で成功するために必死になる必要はないのですが。

また良くないのが中途半端に悪ぶることです。こういう人たちこそ多数派で盲点でもありました。逆にこのことに気づけば多数派がキーであることがわかります。多数の人たちが変われば世の中は早く変わることが出来るからです。ただそれが上手くいかなかったのも事実です。

ですが中途半端に悪ぶっていた方々は考え直していただきたいと思います。
悪についていくのか、正義についていくか、を。

このお話をしすぎるとタイトルのお話が出来なくなるので一旦もどります。

今回記事を書く前に思い浮かんだのがレディー・ガガの成功例です。
特段ガガに思い入れがあるわけではないんですが思い浮かんだので今回例に挙げさせてもらいます。

上の動画がリーナ・モルガナ(Lina・Morgana)という歌手で下の動画がレディー・ガガ(Lady・Gaga)です。

似ていると思われた方もいらっしゃるでしょう。マイナーメディアではガガのデビュー初期にやったスタイルはリーナのパクリと言われています。

確かに似ています。しかしガガはこの件について特に言及していないようです。
真意はわからないということになっていますが、ガガとリーナは会っていたとの情報はあります。

リーナは2008年10月4日に亡くなってしまっていますので彼女から証言を聞くことはできませんが。

Wunderlandというガガとのコラボ曲をリーナの方で出しています。コラボまでしているのに知らないふりというのもやや無理がありますが。

下の動画でこの二人と顔を合わせているのがガガの元恋人で音楽プロデューサー、ロブ・フサーリ(Rob・Fusari)です。彼を介して二人は繋がりこのWunderlandを製作したのでは、というお話です。

http://www.linamorgana.com

ガガがはじめに注目されたのもリーナのような奇抜なスタイルがあってこそなら、リーナに対して何かメッセージがあってもいいはずです。しかしガガの口からそのようなセリフは無いようです。

勘が働かなくともわかるような歴然とした証拠はここで提示出来ないのですが、私はガガがリーナのスタイルをパクったとほぼ言えると思います。

すると、ガガはリーナと共にエンターテインメントを作るのではなく彼女との関係を闇にほうむって有名になったと言えます。

となるとガガの成功はリーナの犠牲の上に成り立っているとも言えます。

 

ひとつガガは悪魔崇拝をしているとアメリカでは一般的に言われています。

現にガガはそこかしこのインタビューで悪魔のことを語っています。

悪魔は成功させるために犠牲を求めます。公にはわからないように行うのでまさに闇の力です。

ガガでさえ悪魔についていけばいつ悪魔の犠牲になるかはわかりませんが。

なのでガガさん、もしこの記事を見ていたら早めに考え直して悔い改めた方がいいですよ。

まあ多分見ていないでしょうけど、、、

いわゆる大資産家やセレブというのは悪魔の作り出した成功例です。悪魔は力を貸すのに犠牲を出させます。人の命であり、人々の苦しみであり、それらを食い物にして成功者を立てます。

だからガガのような成功者に憧れ、そのような成功HowToモノに邁進することは深い意味で危険なのです。

現代、一般的に成功と言うと間違いなくガガのような成功例を示すはずです。

しかしこれを成功として模範にしていては。暗に犠牲者を出すことを正当化させますから。

なので今まで世間でいう成功を成功と呼んではいけないと言っているのです。

では成功はないのかというと、そういう訳ではありません。

はじめになぜ成功を夢みるようになったのかを考えて欲しいのです。

それは心の充足でしょう。充実した人生を過ごしたいと思い成功を目指すはずです。心が満たされることを求めて歩みはじめたはすです。

心が充足することをし続け、それを高めていくことが本当の意味で成功なはずです。何も心の充足を求めるために、うんざりするような大金は必要ありません。

悪魔は少しの隙をついて心の充足をお金や名誉、情欲とすり替えてきました。

しかし必要以上の富や名誉は重荷となり煩いを増やしあなたを苦しめつづけます。

もっと心の喜びや、心に満たされる充実感を知り、それをあなたの人生の糧としなければいけません。逆にいうとそれだけで人生は成功の道を歩んでいると言えます。何も特別なことをしなくとも心が満たされたことはあると思います。ただシンプルに心が満たされるような感覚です。

それを忘れずにやることを成功というべきでしょう。もしはじめの充実した心を守るならおのずと結果はついてくるはずです。

 

ここから先はさらに次のレベルでのお話です。

 

心の充足を奪われないために必要なHowToとして何千年間も聖書が綴られてきました。

イエスキリストはそれを見事に体現し人々に教えを伝えました。聖書を読むとわかりますが彼の反論はまさにぐう聖の完成形です。

いまやキリストや聖書というと宗教として一般人からはひとつ距離を置かれています。宗教団体、布教、入信などと聞くとどれも世間では良く思われませんね。一般の人からは程遠いものとされてしまっています。私自身も街でこれらの文字を見たり話を聞くと距離を置きます。

しかしいざ聖書を読みイエスの教えの内容そのものを見ると、それは庶民へ向き、更に貧困や病にあえぐ人々のために働きその人たちの為の救いを教えています。もちろん中では金持ちにも教えています。

聖書には比喩のお話が多いのであれをおとぎ話として捉えて見向きもしない人がいますが、それらはたとえ話なのでSF映画のようには起きません。たとえの話しの示すところは人々の心や内面、霊魂について語っています。

意味深な箇所は心の目で見なければいけないのです。

 

私自身、聖書を1年たらずでここまで理解するにはRAPTさんの記事なしには成し得ませんでした。

http://rapt-neo.com/?tag=聖書

自分もまさか聖書をこのように理解できるとは思ってもいなかったので、このような時代にいることに何か意味を感じます。

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