わざわざ、思い悩み、思い煩い、はしなくて良い。

あれこれと考え事をすると頭に血が登り、いっぱいっぱいになってしまいます。それに悪い考えばかり浮かぶと絶望感さえ味わう羽目になります。

一応、勉強して複雑な知識をたくさん覚えて、その知識を生かそうとしても、身体も頭もついてこなので、いざ覚えたことを使おうとしても何がなんだかわからなくなってしまいます。

流行りのグッズをたくさん買い揃えたけど、どこに置いたかわからなくなり、使い方もわからなくなってしまうような状態です。

まだ足りないと思い、更に複雑な知識を覚えようとしますが、そうしてもキリがなく、更にごちゃごちゃになり根本的には解決されません。

結局学校や職場の座学であれこれと複雑な知識を覚えますが、複雑なことをたくさん覚えてもわからなくなり、いざという時に使えないのです。

残念ながらこういう複雑な知識を流布し、頭が混乱するような学問や心理学、カウンセリングを行う人がいるのが今までの現状です。

まあ、本人達もとりわけ悪気があってやっているのではないでしょうが。

社会的にも認可されているから大丈夫だと思い、カウンセリングや医療機関、座学、セミナー、に通いHowTo本もたくさん読みますがその場の気休め程度の解決しかされず、本当に良い方向に進んでいるのかわからない。

むしろ悪い方向にいっていることすらあります。なんでこんなに投資しているのに中々良くならないんだろうか、と悩み疑問に思う人もたくさんいると思います。

でもそれは根本的な解決法を教えていないからです。

食べたうなぎの骨が喉にささっていても、骨を抜かずにひたすら痛み止めを飲むような事をやらされてしまっているからです。

ささっている骨が抜ければそれは間違いなく解決に向かうのにです。

ただわかりやすい解決法を教育、メディア等もあまり教えませんから、それが世の中に広まっていないのです。

広まるようなシステムを作ってこなかったし、広めるような人は邪魔をされてきたでしょうし、意図して広めないようにしてきたのでしょう。

今後、本物のわかりやすい知識を広めることが出来れば、余計なことで悩み、起きなくていいような犯罪や事件、かからなくて良いような病気も防げるかもしれません。

シンプルでわかりやすい情報というのは本当の意味で価値があると考えていいと思います。

シンプルに解決できるようになれば、はたまた日本のこのゴチャゴチャした町のつくりもシンプルに出来るかもしれまん。

 

ただシンプルな考えを持つ事は思い煩いに囚われていると中々できません。

結構、思い煩うことに変に慣れてしまって、周りも皆んなそうだと思い煩いを捨てるにも勇気がいります。

しかし、少し勇気をだして思い切って、思い煩いを捨ててみると間違いなく違った世界が見えます。

変な目で見られることもあると思います。けれど人目を気にしすぎて臆病になりすぎてしまうと何も始められません。

何もキチガイになったり、レディーガガのような変なファッションを披露しろというのではありません。

確かに、日本では少しはみ出ると周りの白い目やなんとも言えない空気は避けられないかもしれません。例えそれが正しいことだとしてもです。でもその時少しの勇気がモノをいいます。

私も自分であれこれ思い悩んで考えてキリがなくなって、わけがわからなくなる事がよくありました。小学生の頃から何となくそう感じていた部分はあったかもしれません。

ペトロの手紙 5-7
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけてくださるからです。

聖書のこの部分にはよく励まされ助けられました。今でも助けられます。

本当に思い煩いは手放してしまった方が、すっきりしてかえって良いアイデアが浮かんだり、気持ちとしてもラクになり軽くなります。

神というのはパズドラや占いに出てくる神の規模とは違ってこの世の運行を全てとりしきれる神です。神頼みというのは一般人の間でもよく聞きます。

神を気にかけるなら神はその人を間違いなく気にかけてくれます。
聖書にもこのような記述はよく出てくるんですけど。

そのくらいの気持ちで思い煩いを手放してみると良いと思います。

ローマの信徒への手紙10-12
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。

 

思い煩いに苦しんでいる方はその思い煩いに囚われる必要はありません。

出来る事なら神にお任せするくらいが良いでしょう。

まずはじめの一歩として、多くの人が思い煩いの悪循環から抜け出せるようようになってほしいと思います。

 

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