流血の癒し

DIYをしていた時です。彫刻刀で力を入れた時、勢い余って指にあたり、血が流れてきてしまいました。

応急手当てをしてもらったんですが、その後、何かしようと動くと痛みがかえってきます。

横になって安静にしました。血が止まるように手をあげておデコの上に乗せていました。その時に、痛みもなくなり、包まれれるような感覚があるんですね。

横になっていると頭の中にいろいろと思い浮かんでくるんですが、「あれをしなければ。こうした方が良いだろうか」と思い浮かんだことに対してせわしなく考えようとすると、痛みが返ってくる傾向がありました。

その時もう考えるのをやめ先ほどの包まれるような感覚にとどまることにしました。

その時のことを言い表すならこうでしょうか。

 

 

 

血を流す傷の

痛みをも包むのは

主の慈しみ。

主の慈しみを離れ

雑務に追われ

雑念に引っ張られるなら

痛みは襲い返す。

ああ、形式の呼びかけより

心をあなたに合わせること

そこにはまさに

違和感が存在しない

自然そのもの。

あなたと心を合わせること

それがホンモノ。

そこに強引さはなく

余計な考えもない。

‘スッキリ’と言う言葉

それはこのこと。

‘スムーズ’と言う言葉

それはここにあり。

主を離れるを知るなら

その時に間違った考えを知る。

主の慈しみを知るなら

その時に正しさを知る。

主の慈しみに包まれるなら

その道は正しさ

その道は御心。

主の慈しみは傷をも癒す

その道は癒しの道。

主に癒されるなら

恐怖は和らぐ。

傷の痛みは

主によって包まれる。

主の慈しみを知ること

これこそ真理。

主の力を知ることは

聖霊を知ること。

主の慈しみの中

とどまるなら

それは真理の道。

主の慈しみの中に

いるならそれは祈り。

主の慈しみの中にとどまる

これは大いなる知恵。

ホンモノのやさしさ

それは主から来るもの。

形式の呼びかけ

それは主にいとわれる。

主の慈しみを奪うもの

それはサタンの行い。

主はあなたの心を知っておられる

心の叫びは既に聞いておられる

主があなたの心を知らないとでも言うのか

あなたの自我による呼びかけより

主の慈しみに触れ

主の慈しみにとどまること。

それが、主との心の通わせ。

 

 

 

その前日まで何が正しいのかわかなくなるという感覚が幾日か続いていました。何が正しいのかと心の中では問い続けていたんですね。

血が流れて何故こんな悲惨なことに、と思いましたが、結果として何が正しいのかという問いに対して答えがわかるように諭され、導かれることになりました。

事故から5時間ばかり立っていますが、パソコンのキーボードを打っている今も痛みはありません。

 

 

 

 

一人一人が幸せになる道を歩むことができればと思います。

神の祝福とともに。

 

 

閲覧ありがとうございました。

 

 

 

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