無神論の限界

ちょっと手抜きと思われるかもしれませんが、もうひとつのブログの転載になります。

良かったら見てください。なるべく率直な思いで書きました。

人はある程度の歳になると、人生について考えます。

その時に人生の師や指南書を求めるでしょう。

現代は、人生について迷ったり探求しようとすると、自己啓発や占い、スピリチュアル、流行りのヨガ、はたまた陰謀論などを調べ出したりします。

現実に書店に行くと、精神世界のコーナーというのがドンとレジ前にあったりします。

衣食住に足りたら、人は次に人生をより満たそうとして、このような本をたくさん読んだり、ネットで色んな情報を探し出そうとするわけです。

簡単に成功します、簡単に儲かります、なんて謳い文句で。聞こえはいいですが、どれも読んでると都合のいいことばかり言って都合の悪いことは隠すようなスタンスが見えてくるんです。

私はあまり本も得意じゃなく、政治も経済も社会常識も、信じ込まず、自分に降ったり湧いてくるインスピレーション重視で生きてきました。

そんな私もこういった自己啓発本をすすめられ興味本位で見てしまったぐらいです。

(これらを先に見たことで聖書はやっぱり違うんだなと知るきっかけを与えらえたとも思ってます)

いざセミナーに行ったり禅寺など、誘われて占いに行っても、何だか違和感を感じ全く続きませんでした。

というか納得の行く答えが得られず、何だかこれじゃ根本的な解決にならないなーと直感的に思うものばかりだったのです。

正直、幸せに生きるためにはお金もそんなに必要ないとも思って生きてきました。

なのになんでセミナーにこんな大金が必要なんだろうと、

世の中のほうに向きを変えて見れば、何で死にそうな思いをしてまで一瞬の快楽のためにお金を稼ごうとする人ばかりなのか、全く理解に苦しんでいました。

子ども心を忘れずに考えればおかしいとすぐわかるはずなのにです。

ちょこちょこと色々調べていたんですが、今はちょっと世の中に疑いを持って調べると悪魔崇拝というのがすぐ出てくるんですね(笑)

悪魔崇拝についても興味本位で調べていた時にけっこうすぐRAPTさんのブログに辿りつきました。 RAPTさんほど徹底的に悪魔崇拝について暴露するブログは他にないでしょう。

まあでも悪魔なんて気味悪いので、そんなのに心を奪われたくありません。

RAPTさんの目指す先が悪魔を倒して、善良な神様の治める世を目指すという明確かつポジティブなスタンスに違いを感じ、直感的に惹かれるものがありました。

RAPTさんはどれだけ日本を、ひいてはこの世をもっと良く変えたいと強く思っていたでしょうか。どれだけご自身も良く生きられるようになりたいと思っていたでしょうか。

その思いが人一倍、人二倍強くないとあそこまでのブログは書けません。

いわゆる知者、教育者ほどRAPTさんのブログを読んだ方がいいと思います。

調べてみるとやはり占い、スピリチュアル、流行りのヨガ、宇宙関係に違和感があったのも納得でした。

RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。

RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。

ようは悪魔的な組織、権力が先に繋がっていたんですね。どうりでこれらを試しても違和感が出てきて、なんか自分が擦れてくるなーという感覚があったわけです。

だからこれらに大金をつぎ込んでしまっていらっしゃる方は早めに手を引いたほうが良いです。

また、これらの仕事に携わっている方も身を引いていく方向に向きを変えた方が良いです。人を幸せにしたいや、人の役に立ちたいという思いからこれらの仕事を始めると思われるでしょうが、理想とは離れてゆき、堂々巡りを抜け出せないと思います。

これらの業界で偉くなるほど悪魔の思惑に加担する事になってしまうでしょうから。

ちなみに私はもともと神様を信じていなかった訳ではありません。

特に神様に関する教育を受けた訳でもありませんが、やはり自分ではどうしようもないくらい困った時は神頼みをしてしまいますし、人の思惑を超えた力のようなものは感じてきましたから神様をわざわざ否定しようなんて気もありませんでした。

また宇宙人とのチャネリングなんて話もありましたが完全に眉唾で聞いていました(笑)。

瞑想や座禅は行き着くところが自分が神になるといったところで相手がいないんです。相手として神様がいると思った方が気持ちとしては断然に楽になります。

あと、何でも自分の力でやろうとすると高慢になるし、プライドも鼻もへし折られ挫折する時がきます。

自分が強くなろうとするばかりに、謙遜や柔和が無くなってしまうんです。

自分がトップだと思い込みますからね。もっと上の神様が見てると思うならへりくだることが出来ます。

働きたくないときダンスをやるときに余計な考えを無くすため、瞑想や座禅はちょくちょく学んでいたので、この瞑想や座禅を祈りに替えました。

祈りにすると心を向ける先が宇宙やら真我やらわかりにくいものから神様という相手になりよりわかりやすくなります。

ダンスを真剣にやっていたのでよく海外に行ったので、宗教はいちいち気にせず話していたのでクリスチャンへの偏見は特にありませんでした。

偏見をいちいち持っていたら外国に行って現地のダンサー(bboy)と交流できませんから(笑)

それにどんな宗教でも悪い人もいれば良い人もいますし、どの国に行っても悪い人も良い人もいるようにです。

聖書に触れる機会もちょくちょくありましたがRAPTさんのブログを見たのが引き金となり、ちゃんと端から端まで目を通して通読しました。

その後は聖書に繰り返し目を通すようにしています。 一度は世の思い煩いからスピリチュアルや精神世界に手を出してしまいましたが、軽症のうちにそれらを知らなかった時の純粋な気持ちに戻れたと思います。

端的にいうと気持ちが楽になったと言うのが大きいです。

それでも、日々変な不安が出たり、頭痛が来そうな嫌な気配などは感じます。 でもそれについてもう余計に調べて時間を裂こうという気もしなくなりました。

漠然とした言い方に聞こえるかもしれませんがより、お金などで幸せを感じず、平和に、でも努力しながら神様に委ねて生きることが出来る世の中を目指していきたいと思います。

大きくは社会の構造がより健全になり続けることも願います。

閲覧ありがとうございました。


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